のっけから意表を突かれた。
食べたことのある味がどこにもなかった。
自分が母国にいるという実感がないのだ。
例えば、海外から戻ってきて、久し振りに成田空港でお寿司を食べてホッとするあの感覚。
食べることが、慣れ親しんだ場所に戻ってきたという実感を生む。
この場所にいた3時間、その感覚がすっぽりと抜け落ちていた。
鳴り物入りで2018年6月にオープンした「日本の新北欧料理」inuaは、コペンハーゲンのレストランnomaの、海外では初めての支店だ。
2015年に東京で6週間だけオープンしたnoma Tokyo、その後のオーストラリアやメキシコでの「支店」も1か月間程度の短期間のもので、このような恒久的な店舗ができるのは、nomaでは初めてのことになる。すでにあるnomaに隣接する「108」も支店ではあるが、デンマーク国内の話だ。
北欧とは緯度も、文化も、植生も全く異なる日本で、nomaのスピリッツを展開するのは可能なのだろうか?
inuaは、nomaを招聘した角川書店ビルの最上階に位置する。
既存のビルへの入居なので、入り口はまさしくニホンの「ザ・オフィスビル」のおもむきだ。
実際は正面のオフィスビルのエントランスを回り込むと、サイドに最上階直結のエレベーターがそなわったinua専用のエントランスがある。
店内は50席が見渡せるようにひろびろとしている。キッチンも本店同様オープンタイプ。飲食店として用いられていなかった場所を新たに飲食店にするのは、どれだけ大変かと想像させるレイアウトだ。
コースは1種類のみ。
29,000円(税サ込34,452円)、デンマークの本店は現在コースが2,250クローネ(DKK)約39,182円なので、5,000円ほど安い感じか。
飲料も本店と同様に、ワインペアリングとノンアルコールペアリングをそろえている。
料理は、難解かもしれない。
おいしいか、おいしくないか。
この判断をヒトはたいていの場合、これまで食べてきたものとの差異で判断するからだ。
これまで食べてきたものと似ていない料理は、おいしいかどうかが判断しづらい。
nomaに行ったことがない、モダンノルディック料理を食べたことがない、であればなおさら。
さらに、inuaでの料理をリピートしたところで、次の季節のメニューで同じものが出ないとすれば、ここで食べる大多数の人は、毎回どう判断すればよいかに悩むはずだ。
シトラス
沖縄のスナックパインとシトラス
最初のひと皿からすごい。迷宮のようだ。
スナックパイナップルに4種の柑橘、柚子の花と、ローストされた昆布のだし。
果物に昆布だしに唐辛子という、初めて食べる組み合わせだ。
ピパーチがピリッと辛い。柑橘の香りと唐辛子系の香りに昆布の香り。
料理は、基本的に熱い料理や冷たい料理がない。ほとんどが人肌程度のあたたかさだった。
えだまめ
皮ごと焼いた枝豆、ヤリイカのダシとロケットの花
イカのダシのスープは比較的「普通」な、おなじみの味。
これに枝豆なのだから、日本料理かイタリア料理になるはずが、なぜか全くそういう味ではなく、北欧料理の「あの味」なのだ。
何か発酵物が組み合わさっているのだろうか。
この組み合わせにロケットの花の香りは新鮮だ。
繊細で、ほかの食材の風味を邪魔しない。
バナナパイ
味噌とバナナのクリスプパイ
先に行かれた方のブログ記事などを見ると必ずアイキャッチのようにあげられているこちらは、食中のスナック的な位置づけ。
島バナナにハバネロ味噌と米麹オイルをはさんでいる。
ピリッと唐辛子辛い味がする。ハバネロで味噌ができるというのには驚いた。
島バナナはかなり甘い。それが味噌の甘さにつながり、味噌が唐辛子につながる。
初めて食べたものなのに、違和感はない。
赤いフルーツ
赤いフルーツと蜜蝋のジュース
花はウイキョウ。
ピタンガ(沖縄産のブラジリアンチェリー)は実の詰まった苺のような味がする。そこに昆布で作った花、ジュースは蜜蝋をラクト麹でのばして作っているのだそうだ。トマトウォーターのような、軽い酸味のさっぱりしたジュース。
昆布と、だしと、フルーツの組み合わせに、花の香り。
昆布と花の香りが、ピタンガの酸味と昆布やジュースのうま味でつながっている。新鮮な感覚だ。
ゆば
湯葉に包まれた野菜の花
できたて。
まだ湯気を立てている湯葉に、花がはさまっている。ナスタチュームの花なのだそうだ。
花芯の部分に、微量の、ごま味のペーストが挟まっている。
きゅうり、柚子の皮、ホースラディッシュ、仕上げにローズオイル。
花(ナスタチュームとローズオイル)の部分と、湯葉のコクの部分を、ホースラディッシュの辛味と、柚子の皮の香りがつなぐ。
いくらでも食べていられる、やさしい味だった。
ごはんと蜂の子
炊き立てのゆめぴりかと蜂の子、ハマナスを添えて
土鍋いっぱいの蜂の子!
こんなに一度に蜂の子を食べるのは初めてだ。
蜂の子は、低温でカリッと揚げたものと火を通してたたいたものが上下二層になっていて、ハマナスの花びらの香りが添えられている。
蜂の子は、見た目に反し、独特のコクと甘みが特徴だ。長野では、へぼ飯という名前で炊き込みご飯にして食べる。
ゆめぴりかとハマナスなので、北海道縛り?
初めてでも、甘みとうま味とコク、カリッと揚げた香ばしさと花の香りのバランスが合うとこんなユニークなご飯になるのだなと思う。
ちなみに訪問は7月初旬、デンマークのnomaと同様に、季節で獲れるものしか使わないという考え方なのか、魚や肉は最後まで出なかった。
どれも初めての味。
その組み合わせ方のユニークさはもう、うなるしかない。
食材には必ず、その土地でこれまで食べてこられた歴史や料理法、「こう使うべき」という文化があり、旅行先で初めて食べる料理である以外は、食べる側も、その文化を暗黙の了解として食べながら理解している。
たとえば、枝豆であれば、夏を中心に収穫し、茹でて塩を振って食べるあの風味――が日本で長く生活する人の頭の中にはまずあって、それが日本でフランス料理の前菜などに使われていた場合であっても、クリームに合わせたり、肉の付け合わせとして出てきたり――ある程度料理の型として普遍性をもち、味の想像も食べる前から予測がつくのが普通だ。
しかしinuaの、例えば先にご紹介した「皮ごと焼いた枝豆、ヤリイカのダシとロケットの花」は、それらのどれとも全く似ていない。「おなじみの枝豆」が入っているのに、スープとロケットの花と一緒に口に含むと、全くこれまで食べたことのない味なのだ。
料理とは、このような全く新しい価値を提供できるものなのか。
各料理に共通するのは、日本の食材を使いながら日本でこれまで食べてきた料理と全く似ておらず、それなのに、不思議と味がちぐはぐなものがほとんどなかったという点だ。
おそらく、各食材の味覚や食感のパーツのみ――甘いとか、コクがあるとか、発酵の複雑さとか、わずかな苦みとか――を、まっさらな状態から一つ一つ分解して、ひとつの料理に組み合わせた感じ、が最もイメージとして近い。
文化が営々と築いてきた食材の組み合わせでなく、固定観念をいったん取っ払って、いちから選ばれたものという感じだ。日本文化に染まったことのある人がこれらを考えるのは至難の業だろう。これまでの知識が邪魔するのだ。
いつも食べている食材の、食べたことのない料理。
あるいは、日本産であるのに、名前すらよく知らない珍しい食材を使った料理。
デンマークのnomaを複数回訪れて、かつ、モダンノルディック料理をわずかでも食べた経験がある人間としては、ときおり、これはあのときに食べたあれに似ている…と突然思い出すことはあった。
それでかろうじて、これは日本で作られた、まごうことなきモダンノルディック料理なのだなとわかったのだけれど、こちらで食事をされる大多数であろう、モダンノルディック料理すら初めてのゲストには、この料理はどこまで通じるのだろう?
ラディカル(急進的)な料理とあり方で世界の名実トップを走り続けているレストランnomaが、他国に支店を出したという意味を、ここで少し考えてみたい。
料理はシンプルなものから複雑なものへ。
ダーウィンの進化論的に発展していくレストランという「生物」の次の行き先は、分化だ。(「nomaの進化が止まらない」)
前回の訪問時(2016年)に、思えば私は、かなり示唆的なことばを書いていた。
レストランの支店を出すことに、金銭的価値以外にいろいろとメリットがあるというのはよく聞く。しかしその一方で、決して支店を出さないで、シェフ(やオーナー)が自分の目の届く範囲にこだわって成功する例もたくさんある。
nomaが別の国に支店を出すことは、従来の、有名レストランによくあるそれと、本質的に違うと思う。
nomaの料理が日本でいただけるのは、モダンノルディック料理をここ数年追いかけてきた1人のファンとして、本当に嬉しいことだ。
この楽しさや驚きは、実際にこの店のシートに座らないと実感できない。
nomaの料理を現地で食べて、その進化ぶりを訪れるたびに目の当たりにしてきた人間として、この楽しさを少しでも多くの人に味わってほしいと思う一方で、一抹の危惧を自分の中から排除できない。
それは何か。
nomaは前述したように、これまで日本、オーストラリア、メキシコにスタッフ全員が移動して期間限定店を出し、その土地その土地に根付いた食材を使うという手法を使いながら、料理の幅を広げてきた。
今回のinuaの出店は、nomaのノウハウや料理のセオリーが、他国に輸出可能な形になったことを表すものだ。
新しい国で料理を展開するにあたってもし何かの問題が起きても、期間限定店舗であればある程度取りつくろったり応急処置でいけることが、パーマネントであると隠せなくなることは多い。
今回このような期間限定ではないパーマネントの店を出したということは、nomaとしては、そういう懸念材料はもう、ある程度払拭できるという見通しがあるのだろう。
nomaの東京支店であるinuaが成功することはすなわち、食材調達や料理の製法、運営面でのノウハウなどが「nomaらしさ」を体現するものとして、デンマーク以外の土地で確立したといえる。
それは何を意味するか。
デンマークと別の地域とで料理が確立できた、つまり、それはノウハウが平準化されるということだ。しかしそれは一方で、nomaの重要なアイデンティティのひとつでもある、オンリーワンの先進性(あるいはラディカル性)を失うことではないか?
実際にすでに私自身がいま、inuaの料理を食べることで、デンマークのnomaで食べたあの味を思い出し、懐かしさを覚えてしまっているのだ!
ラディカルであることがnomaのアイデンティティの一つであるならば、今回日本に出店したことそのものが、それを自らの内側から崩しているとはいえまいか。
これまでの事例と、今回のnomaの日本出店が根本から違うと私が感じるのは、まさにこの点なのだ。
nomaは、レストランのあり方を、根本から変えてきた。
モダンノルディック料理の体現、レア食材の発掘、世界一の称号、全スタッフを引き連れての期間限定店、廃屋を改築しての移転、肉や魚を出さない季節も作るというメニュー構成。
しかし今回のこの2店舗目の出店、nomaはひょっとすると、みずからを滅ぼしかねない劇薬を飲んでしまったかもしれない。
とんがっていることを諦め、普通の多店舗展開の道を進むか。
あるいは、もっと何か独自の道を切り開くのか。
これがどういうふうに帰着するのか、まったく予想ができない。
誰も想像しえなかった、誰も見たことがない景色を、私たちはいま、リアルタイムで見ている。
inua(イヌア)
https://inua.jp/
東京都千代田区富士見2-13-12
03-6683-7570 (受付時間 11:00 – 16:00)
日・月休
ヘッドシェフ トーマス・フレベル
予約→こちら
noma訪問記
2012年「nomaが東京に来る…の1日経っての雑感」
2015年「走り続けるnoma」
2016年「nomaの進化が止まらない」
noma関連 記事一覧(映画等その他)