という、レストランの中の人のつぶやきを先日目にした。
何となく気になっていて、そのとき考えたことを、ここに書き留めておきたいと思う。
そのとき引用されて話題になっていたのが以下の記事だ。
いま、世界のレストランが「灰色」になっているーー人気ワインビストロ店主とごはん狂エッセイストが語る「おいしさへの探究心」
フレンチレストランを2軒経営する紺野真さんと、紺野さんのお店のファンでもあるエッセイストの平野紗季子さんの対談を収録した記事だ。
ここでの「灰色」ということばは、世界中の個々の文化を原色にたとえたとき、どの国のレストランも色が混じり合ってどこの国のレストランも同じだ…という現象をたとえたものらしい。
紺野 世界中でいろいろな文化をちょっとずつ楽しめるようになったということなんですけど、でもお客さんはみんな「灰色」が好きというわけではなくて、「白が多い灰色が好き」とか、細かい好みがあるんです。具体的にいうと、「フレンチ色の強い、バスク料理のお店が好き」とかね。そういう要素を混ぜていても、いまいちなお店というのがあって、それって結局、もともとの原色をきちんと取り入れられてないからだと思うんです。
平野 灰色の発色が悪いんですね。
「灰色の発色が悪い」とは、言葉の良し悪しはともかく、まあなんとなく理屈抜きでわかる…比喩だと思う。
世界中の文化的特性が混じり合い、どれも少しずつあちこちの文化の影響を受けているということは、有機的に繋がっているという言い方もできるけれど、それは、鮮やかな文化の色がなくなることとコインの裏表だ。
ここ数年のSNSの隆盛による情報伝達の速さによって、私たちは日本にいながら海外のレストラン事情をリアルタイムで見ることができる。
なにより、料理写真をこんなに数多く見ているのは、ここ十数年のことだろう。
料理写真といえば、以前は情報誌や専門誌でしか見る機会がなかったし、それはどれも、カメラマンが撮った美しい写真だけだった。
それが今はスマホで誰もが写真をUPする時代になり、結果として、素人が撮ったいわゆる「ありのまま」な写真を、私たちは圧倒的に多く目にすることになった。
そしてそれは悲しいことに、カメラマンの撮った「美しすぎる」写真より、料理の感じを「掛け値なく」見せてしまうのだ。
例えばホテルの写真でも、かつては公式サイトの写真を見て、実際に行って「なんだこれ…」とその落差にがっかりすることも少なくなかった。公式サイトの写真が美しすぎるのだ。それが今は、口コミサイトに投稿された無数の素人写真によって、「現実」が行く前からわかるようになった。期待はずれでがっかりすることは減ったが、予想外の良さに大喜びすることも減ったように思う。
それと同じで、普通の人が撮った無数の料理写真で、私たちは食べる前から、その店の料理が自分の好みであるかどうかが、かなりの高確率でわかるようになってしまったのだ。
「行きたいレストランがない」という嘆きの理由の一つは、そこにあるのでは…と思う。
ところで話は変わるが、今年のレストランの話題の出来事の一つに、コペンハーゲンのnomaが、東京で1ヶ月限定営業したことがあげられる。レネ・レゼピシェフ以下スタッフ全員が店を閉めて日本に来るというニュースにだれもが驚き、期間中はその話題でもちきりになった。
しかしそれ以降、イギリスのFat Duckが半年店を閉めてメルボルンに店を出すなど同様のニュースが聞こえ、世界的に著名なレストランが店を期間限定で移転する…という出来事は、ここ数年で「ありうること」…として認識された、と思う。
そしてつい先日も、都内のレストランで「お昼だけ別のお店になる」という試みが発表された。
港区のフレンチレストラン「TIRPSE」において、平日のランチコースをやめ、代わりに、期間限定でデザートコースが食べられる別のレストランになるという。
KIRIKO NAKAMURA TIRPSE Presents~
Dessert Tasting Menu \3,780
2015/7/8 Mon-Fri・12:00?13:30(L,O)
港区白金台5?4?7 バルビゾン25
http://t.co/790oyIqAsp
— kiriko.nakamura (@KIRIKO_DESSERT) 2015, 6月 3
中村さんはパリのHelene Darrozeなどで修業、TIRPSEでシェフパティシエの経験もある人だが、今回はあくまでも「1年間限定でお届けする、デザート・テイスティング・レストラン」という扱いらしい。
2016/6までの限定営業となっている。
二つの点が繋がるかどうかわからないが、行きたいレストランは、今は「出かける」あるいは「やってくる」という側面を持ち始めたのかもしれない。ここ数年増えてきたコラボディナーも同様で、「シェフが自店の営業を休み、他の場所で期間限定で営業する」ことの変奏とも読める。
新しい土地、いつもと異なる食材、そして新しい食べ手。
これまでの、その土地に根ざした料理…という考え方を、それらは軽やかに越えて行く。
交通の便が良くなり、このような情報がすぐに伝わる今の時代に必然的に生まれた、レストランの新しい形の一つなのかなと思う。
歴史が後戻りできない以上、ここから何か見えてくるのを読み取っていければと思う。
ちなみに私自身は、そのように悩むことはまだ当分なさそうだ。