私たちは建物のことを、屋根があって壁があって…という無機物の側面から俗に「箱」と呼ぶことがある。いわゆる「箱もの行政」とかいったりするときの「箱」である。
しかしどんな「箱」も、たとえばレストランであれば、中の人がいてはじめて動くものであり、中の人によって中身がどのようにも変わりうるものだと考えれば、建物は生き物だと考えることもできるだろう。
レストランの経営母体が変わって、あるいは、居抜きで別の人のものになったとき、見知った建物がこれまでと全く違う表情を見せるのを経験した人は多いはずだ。
今年5月、1軒のレストランが11年の歴史に幕を下ろした。
静岡・富士宮のレストランビオス。
恵比寿のタイユバン・ロブション(当時)の支配人だった松木一浩さんが富士山の麓・静岡県富士宮市で農園を開き、そこでとれた野菜を用いたレストランだ。
2009年12月オープン。自家農園の野菜から生まれる洗練されたフランス料理は、それ以降「Farm to Table」のさきがけとして、全国のゲストを富士宮に引き寄せた。
今年はどのレストランも、新型コロナウイルスのために長期休業を強いられる前代未聞の事態となったが、東京から離れていたビオスには、その影響はあまりなかったという。
店舗としての営業閉鎖は、静岡県に緊急事態宣言が出た5月1日からのゴールデンウイーク期間中だけだったというから、その点も不幸中の幸いだったといえる。
先日、その閉店後のビオスで、調理器具から食器、テーブルから椅子に至るまで販売するというガレージセールが行われた。
レストランの閉店でガレージセールとは、そういえばあまり聞いたことがない。
通常であればこういう場合は、什器ごと居抜きで次の店に引き継がれるか、廃棄が多いのだという。
長期間使用された食器やカトラリーには、ふつうは商品価値はあまり残っていないためらしい。
思い出の詰まった店内も、これで見納めだ。
セール当日。
開始予定20分前から店内はすでに満員だった。
営業時は10人くらいしか座らないダイニングに、30人以上ひしめいていただろうか。
食器類や製菓器具類がところせましと積みあがっていた。
リーデルのワイングラス。クリストフルのフォーク類。コーヒーカップ。木製のパン皿。ナプキンリング。卓上用の燭台。
どれも見覚えのあるものばかりだ。
プレーンな白い皿のストックは半端ではなかった。
それらがみるみるうちに減っていく。どれにしようか悩んでいる時間はなかった。
それでもなんとか、グラスやカトラリー、なじみの前菜のお皿を何枚か確保した。
そのお皿やカトラリーが、いま、自宅にある。
レストランの一部であったものが家にあるのは、不思議な感覚だ。
私たちは、3月末からの2か月間にレストランが休業を余儀なくされている期間中、各店舗のテイクアウト料理をいただく機会を得た。
それは本当にだれにとってもはじめての出来事だったし、私自身はこの期間中に、レストランの箱とは何なのか?ということを、あらためて考えさせられた。
家でいただくレストラン料理は、それはそれはおいしくて、家庭料理とは別次元の味だった。
しかしこの料理は家で食べるものなのか?という違和感のような不思議さも、同時に感じていた。
Stay Home期間中の2か月間に強く感じたことは、当たり前ながら、レストランは食事をするだけの場所ではない、ということだった。
レストランには、お店を成り立たせる「場所」があり、建物内部に非日常の「空間」があり、滞在を心に残るひとときにする「サービス」がある。
どれも、形がないものだ。
私たちはその、形のないものにお金を払っている。
その形のないものが、どれだけ自分をくつろがせ、元気づけていたか。
ビオスで購入したお皿やグラスや、自宅で食べるテイクアウトの料理は、そのことを思い出させてくれた。
私たちは、レストランの心地よさに依存しすぎてしまっていたのかもしれない。
移動制限が解除となり、2か月ぶりにレストランを訪れて思った。
箱とひと口に言ってもそれは、単なるモノの集合体ではなく、ゲストそれぞれの思い出がくっついて成り立つものなのだと。
この日レストランの入り口には自家用車が連なり、店内はゲスト同士やシェフの本岡将さんなどスタッフの人たちに挨拶を交わす人でにぎわった。
梅雨の前の明るい光に包まれた店は、この日さながらレストランへのお別れの会のようだった。
ビオスを――料理だけでなく空間やサービスを愛している人が自分のほかにもこんなにいたのかと、当たり前のことだけれどもそう思わずにいられなかった。
この日お皿やグラスとともに買い求めたのは、そのモノにまつわる空気や思い出だったのだろうと思う。
その空気には形がない。
時間をかけて、はじめてできあがっていくものなのだ。
過去のレストランビオス訪問記は→こちら
※写真展のご案内※
※レストランビオスの10年を振り返る写真展が、都内で6月28日まで開催中です。
10年間の空気を、松木さんや本岡さんが撮影した”日常生活”を通して追体験することができます。
La vie quotidienne 〜レストランビオスの10年〜
AWAJI cafe&gallery
https://awaji.tokyo/
2020/6/6(土) ~2020/6/28(日)
【会期延長のお知らせ】
現在開催中の
「La vie quotidienne 〜レストランビオスの10年〜」は、ご好評につき、会期を28日(日)まで延長いたします。
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最終日の営業時間は決まり次第お知らせいたします。
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引き続き、皆さまのお越しをおまちしております。
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.#gallery #レストランビオス pic.twitter.com/4hzYzQ9sE0— AWAJI Cafe & Gallery (@awaji_cafe) June 15, 2020
※松木さんと本岡さんは、7月から、栃木・那須にオープンする元二期倶楽部の宿泊施設「アートビオトープ那須」内に新しくオープンするレストラン「レストランμ(ミュー)」に勤務されます。予約開始は7月15日。ソフトオープンは7月末、グランドオープンは10月2日の予定。
(リンク先にプレスリリースあり)
https://www.artbiotop.jp/2020