今日、福岡で一軒のレストランが船出する。
北部九州の玄関口、博多駅。
ここから23年に延伸された市営地下鉄七隈線は、県外から市南西部へのアクセス向上を期待されるエリアだ。
その七隈線六本松駅から徒歩5分、「Syn(シン)」は福岡市民の憩いの場、大濠公園そばのビルにある。
周囲は、福岡市美術館などが点在する落ち着いた文教地区だ。
「Syn」のシェフ大野尚斗さんは1989年生まれ。「食のハーバード」と呼ばれるニューヨークの「カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ(略称;CIA)」を卒業。米国「ノマド(1つ星)」、「アリネア(3つ星)」、国内では「レクテ(1つ星)」、またスウェーデン「ファヴィケン(当時2つ星、現在は閉店)」、ペルー「セントラル」、イタリア「ドロッゲリア・デ・ラ・ロッサ」など、世界的名店から家庭的レストランまで、7か国のレストランで腕を磨いてきた。
また、その7か国の修業の合間に訪れた国は約40か国。
持ち物は包丁とわずかな調理道具を詰めたバックパックひとつ。
道中で生産者と出会い、また訪れたレストランで働き、料理の哲学や技術を学んだ。
日本人の料理人でCIAを卒業した人はそれほど多くない。
日本国内には辻調理師専門学校をはじめ、優れた専門学校がすでに多くあるからだ。
にもかかわらず、あえて米国で学ぶことを選んだのはなぜか。
日本の学校教育になじめないと感じた大野さんは、ご両親と交渉し、米国で学ぶ道を選んだ。
ご両親がかつてそれぞれ筋金入りのバックパッカーだったことは、大野さんの人生に大きな影響を与えている。
学校選びからそうなのだから、そのあとのキャリアが、学びたいと思った世界中の店に身一つで飛び込んでいくという、「人生=(イコール)旅」のスタイルになっていったのは必然だった。
肉は愛媛・西予市「ゆうぼくの里」のジャージー牛。
塊のまま、コースの間に時間をかけて焼く。
そして、焼くときに出た端肉を用いて、ラオスの郷土料理ラープを出す。
ラープも旅の思い出のひと品らしい。ラオスがフランス語圏であることから、フランス料理との親和性を感じたという。
欧州とアジアという異なる地域の料理を続けて出すことについては、それぞれの料理にこめられた物語を紹介することと、無駄なく食材を使い切ること、その両方の点で意味があると考えた。
乳牛の肉に、その乳牛のバターを塗って熟成させ、その牛が食べていた藁や牧草で燻すという手法は、スウェーデンのレストラン「ファヴィケン」で得たものだ。
周辺の土地のローカル食材を中心にシンプル・ミニマルに仕上げる「ファヴィケン」は、2019年に閉店するまでベスト50にランクインしたこともあり、国際的にも名を馳せた。
大野さんが学んだのは、その閉店までの2か月だった。
「Syn」の料理コンセプトは「キュイジーヌ・ヴォヤージュ Cuisine Voyages 」。料理と旅を組み合わせた造語だ。
料理と旅を人生の支柱として生きてきた大野さんの、これまで出会った土地や人のインスピレーションを料理に生かしたいという思いがこめられている。
この「キュイジーヌ・ヴォヤージュ」というコンセプトが生まれたのは、2022年に開催されたREDの選考中だった。
35歳以下が対象の若手料理人コンテスト「RED U-35」では、毎年テーマが設定される。
この年のテーマは奇しくも「旅」。
主催者側の意図として、2022年はコロナ禍の出口がようやく見えてきた時期でもあり、これからは、料理人も外に出て地域や社会とかかわっていくべきだという考えがあったのだろう。
結果は最終選考のゴールドエッグ。
選考が進むに従い、料理する意味をさまざまな角度から繰り返し問われ、その過程が結果的に、自身の店舗のコンセプトを固めていく作業にもなったようだ。
応募時の課題「旅にまつわる料理」で大野さんが提出したのはエッグノッグだった。
エッグノッグは、牛乳・クリーム・溶き卵をベースに味付けした飲み物だ。
「海外で修業中、体調不良時に作ってもらった料理」と説明にある。見た目は地味だが、そういう思い出の料理を提案料理として選んだところには、大野さんの、写真映えよりもヒューマンな思い出を大切にするまなざしを感じさせた。
大野さんが料理を作るにあたり表現したいものは「旅の道連れ感」。
料理が生まれた背景や物語を、ゲストに伝えていきたいのだという。
「旅先で、その土地ならではの気候や食材、また魅力的な人々との出会いが僕を成長させてくれたように、今度は僕が皆さんに新たな世界を見せたい」(「ファイナルへのいきごみ」)
店名「Syn」は、「Syncro」や「Symphony」といった「共に」を意味する単語から名づけられた。
旅は人の心を解き放ち、新たな何かに出会える期待をいだかせる。
これまで旅の途中で出会った生産者に、大野さんはお礼としてその場で即興の料理をふるまってきた。
生産者の営為に、また生命を差し出す食材そのものに対して、感謝の思いを伝えたかったのだという。
「まだ見たことのないものを見たい」と好奇心と行動力で旅してきたこれまでの修業時代。
その、これまで旅で出会ってきた物語を、これからは料理を通してゲストと分かち合う時期だ。
「Syn」 2023.6.8開業
福岡市中央区草香江1-5-22, 4F
https://www.instagram.com/syn.restaurant/
18:00~(一斉スタート)
定休日 月