映画「至福のレストラン 三つ星トロワグロ」

見どころが多く、240分という長時間を感じさせない映画でした。
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映画は、トロワグロ家の長男セザール氏と弟レオ氏がロアンヌ駅前のマルシェで買い出しをするシーンから始まります。
そのあとに二人と父ミッシェル氏による長いメニュー会議、テーブルセッティング、ミーティング、厨房の様子と場面はレストランの一日をなぞるように描かれます。

ナレーションなし、説明なし、BGMなし。
飲食店の中の方はいろいろと思い出すことも多いのではと思われましたが、そうではない人間も、スクリーンに映る人物たちのゲストをもてなそうとする真摯な表情や魅力的なダイニングの様子に心動かされました。
メニュー決めのディスカッションのシーンが長かったのが興味深く感じました。
ミッシェルの案にセザールやサービスの人たちが意見を言うシーンでは、シェフといえどもトップダウンではないのだなと思ったり。

◆何を映し、何を映さないか

意外だと思ったことのひとつが、出来上がった料理の映像がほとんどなかったことでした。
味覚も嗅覚も再現できない料理映画で最重要なもののひとつが視覚、出来上がった料理の美しさかと思ったのですが、カメラは最後の盛り付けが終わった料理を追わず、料理はサービスの手によって画面から消え去ります。
ワイズマン監督の視点に「美しいものは料理でなく、その過程である」という意識があったものかどうか。
この長尺映画で「撮られなかったもの」を探すことで、監督の真意が読み解けるような気がしました。

◆代替わりの難しさと葛藤

「僕はまだ最初の一歩を踏み出せていない。この店から退くという最初の一歩が」
「く~、こんなカッコイイこと言うのか!」と言いたくなったミッシェル氏の台詞。
映画では日々の業務を軸に、もっと大きな時間軸として「家業」であるためのミッシェル氏からセザール氏への代替わりの難しさについても描かれます。
映画の中でミッシェル氏が腎臓(ロニョン)の試食で「味が何か足りない」と悩むシーンがあるのですが、いつでも起こるであろう日常的シーンでありながら、ずっと先の人生の終わりを見ているようにも見え、何でもない場面ながら、見る側も思わず共感してしまう場面でした。

◆「家そのものが人生だ」

ミッシェル氏の3人の子供たちは全員、トロワグロを支える業務に就きます。
80年以上続くファミリービジネスを三つ星で続けていくために何をしていくべきなのか。その一瞬一瞬が240分という映画の中に描き留められます。
ミッシェルは子ども世代のために17ヘクタール(東京ドームの3.5倍)にも及ぶ現在の新しい敷地を購入し(それまでの店舗は賃貸だったそう)、農地や牧場などの生産地に出向いて生産者の方の声に耳を傾け、店の内部では、働き方改革のため人員を配置する場面なども描かれます。
その日々の刹那の積み重ねが80年というかけがえのないトロワグロの歴史を作り、今後もその歴史を続けていく。それこそが、240分という長尺であらわされているものではないかと感じられました。
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映画は都内では銀座・渋谷・吉祥寺での上映、9/6(金)以降のスケジュールは未定とのことです(渋谷)。

それ以降に封切りされる地域もあるようです。


至福のレストラン 三つ星トロワグロ
劇場公開日:2024年8月23日
2023年製作/240分/G/アメリカ
原題:Menus Plaisirs – Les Troisgros
配給:セテラ・インターナショナル

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